飼育員になるには!

動物の飼育員を目指すあなた、
飼育員として成長したいあなたにとって
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願っています!
「動物が好き」なだけでは続かない、
たくさんの命に関わる仕事です!

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プロフィール その1

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はじめまして。このサイトの運営者「きりらび」です。

ちょっと風変わりなハンドルネームですが、この名前には個人的は理由がありますので気にしないでください。

ここでは私についてお話しましょう。

昭和の中ほどに誕生した私は、物心ついた時にはすで生き物に興味を持っていました。

最年少の記憶は確か2歳になる前のこと。
家の前のアリの巣を毎日毎日眺めていました。
たくさんのアリが巣に入ったり出てきたり、何か持って入ったり何か持って出てきたり…。
そして落ちていた木の枝で巣の入り口を少しずつ壊すと、たくさんのアリが一斉に動きを活発にする。

時には卵やサナギを持ち出して避難するものもありました。
しかし翌日には何事もなかったようにまたたくさんのアリが巣の出入りを繰り返していることに、とても不思議を感じていました。
とにかく見ていて興味が尽きませんでした。
 
毎日毎日しゃがみこんで地面を突いている我が子を見て、両親はいったいどう思っていたのでしょうか。この時の話は聞いたことがありません。

興味を持ったのはアリだけではありません。
毎年多少の違いはあれ、同じような時期に泣き出すセミの不思議や、植物の芽吹き…。
誰が決めたわけではないのに、自然環境下の生き物の「生」はそれぞれの種の命を脈々と引き継いでいます。
命をつなぐ営みが途切れたら、そこでその種は絶えてしまいます。
逞しくその命をつなぐたくさんの生き物に対して、理屈抜きで興味を持ち続けた人間でした。

小学校へ入学してもこの興味は薄れるどころか増す一方でした。
私が子供の時にはまだまだ住宅も少なく、小学校も田んぼや畑の真ん中にあり、至る所に用水路や休耕田がありました。
また自転車で15分も走れば、70~80mくらいの小高い丘陵地もあり、湿地・草原・森林といった自然環境の中で育ったと言っても過言ではありませんでした。

小学校裏の休耕田には、春になるとカエルやサンショウウオが大挙して産卵していたり、それらのオタマジャクシを目的にミズカマキリやゲンゴロウ・マツモムシなどの水生昆虫が集まって来ました。
夏の夜にはヘイケボタルも淡い光を発して活動していて湿地の生態系を作っていました。

もちろん非常に多くの種類のヤゴもいました。
ヤゴはその姿を見ただけではなかなか成虫の判別が出来ず、家に持って帰っては羽化を目撃し、種の同定を図巻とにらめっこを日々行っていました。
インターネットなどない時代ですから、図鑑です、図鑑。

トンボの羽化は通常夜半から明け方にかけて行われるため、それを目撃することは幼少の頃にはとても難しく、大抵は朝見てみると羽化していました。
ですがまれに奇跡的な事態に遭遇します。
小学校の登校途中にそれに出来わす場合です。
トンボばかりでなく、セミの時もありました。そんなときは、もう、大興奮!!
学校に行くことも忘れ、ひたすら観察…。
気が付くと夕方だったことも少なくなかったですね(笑)。

 

クワガタがいる木に近づくと、「臭い」でクワガタがいることもわかりました。
夏休みの朝は、眠い目をこすりながら近くの公園で行っていたラジオ体操に参加した後、自分で見つけたクワガタが集まる木に向い、大きなミヤマクワガタやノコギリクワガタを捕まえたことを思い出します。

草原で鳴くキリギリスも捕獲の名人でした。
今思えば、それぞれの生き物の特性を理屈ではなく、肌で理解していたのでしょうね。
未だにこの感覚は健在です。

家で飼育してみた生き物は昆虫やカエル、トカゲなどがほとんどでしたが、時折庭先に落ちていた鳥のヒナや、学校帰りになんとなく付いてきた野良犬など、短期的に世話をした生き物も少なくなかったですね。

基本的には野外から採取してきて一定期間飼育し、繁殖してそれをまた野に返す。
これを幾度となく繰り返していました。
これを繰り返し実施したことで、生き物それぞれには「生態」や「習性」があり、
決して同じではないということも感覚的に理解出来たのではと思っています。

はじめてイヌを飼ったのは、小学校5年生の時でした。

友人宅で生まれた雑種で、日本犬の血が濃い巻き尾のオスでした。

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